革新的な起業家たち:1715年-1891年
私たちの歴史の扉を開けたのは、18世紀から19世紀にかけて英国、ヨーロッパ、米国を股にかけて数々のビジネスを開始した、革新的な個人の起業家グループでした。彼らは、薬局や小売店の経営者、そして製造業者として、医療用石けんやタラ肝油などの製品を開発しました。彼らの先駆的な業績によって、今日のGSKの礎が築かれました。

私たちの最初の薬局
1715年、シルベーナス・ビヴァンが、プラウ・コート・ファーマシーという薬局をロンドンに開設しました。
1700年代、薬局は開業医のような役割も担っていることが多く、医学的な助言を行ったり、医薬品を販売していました。
事務員だったウィリアム・アレンは1792年にプラウ・コート・ファーマシーに雇われ、1795年にはパートナーになりました。アレンは、医療従事者として尊敬されていた人物で、1841年に薬剤師会(Pharmaceutical Society)の設立メンバーになりました。

私たちの最初の研究室
結婚によってウィリアム・アレンの甥となったハンベリー兄弟が1810年代にプラウ・コート・ファーマシーに入社しました。1856年までに、プラウ・コート・ファーマシーはアレン・アンド・ハンブリーズとして知られるようになりました。
この会社は1850年代から1860年代にかけて規模を拡大しました。その原動力の一翼を担ったのは、くる病やビタミンA欠乏症の予防に使用された独自のタラ肝油の売上でした。
アレン・アンド・ハンブリーズ・リミテッドは最終的には、今日のGSKの礎を築いた会社のひとつであるグラクソ・ラボラトリーズ・リミテッドが買収することになります。「グラクソ」は、GSKの中の「G」の起源です。
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1715年
プラウ・コート・ファーマシーが英国ロンドンに開設
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1792年
ウィリアム・アレンがプラウ・コート・ファーマシーに入社
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1810年
ハンブリーズ兄弟がプラウ・コート・ファーマシーに入社
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1856年
プラウ・コート・ファーマシーが、アレン・アンド・ハンブリーズ・リミテッドとして知られるようになる

「スミス・クライン」の起源
1830年、スミス・アンド・ギルバート薬局が米国フィラデルフィアに開設されました。ギルバートの引退後、ジョン・K・スミスの弟ジョージが入社して、この会社を医薬品の卸売企業として成功させました。
その後1870年まで、彼らの甥マーロン・スミスが同社を経営しました。そして、簿記係であるマーロン・クラインをパートナーとして、スミス・クライン・アンド・カンパニーが設立されました。
1891年、スミス・クライン・アンド・カンパニーは、フレンチ、リチャーズ・アンド・カンパニーを買収し、スミス・クライン・アンド・フレンチ・カンパニーを設立しました。「スミス・クライン」はGSKの中の「SK」の起源です。

石けん、ろうそく、スキンケア
1847年、ジョン・ディビッド・スティーフェルがドイツで、ろうそくの会社を設立しました。この会社は後に、医療用石けんの製造を開始しました。この石けんがとてもよく売れたため、1880年代にスティーフェルはこの石けんを輸出し始めました。
スティーフェルは、2009年にGSKに買収されましたが、そのときまでにスティーフェル・ラボラトリーズとなっており、その当時皮膚疾患領域における世界最大の独立系製薬企業でした。
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1830年
スミス・アンド・ギルバート薬局を米国フィラデルフィアに開設
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1847年
ジョン・ディビット・スティーフェルがドイツで、ろうそくの会社を設立
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1891年
スミス、クライン・アンド・フレンチ・カンパニーを設立

羊飼いの少年が工場のオーナーに
かつて羊飼い少年だったトーマス・ビーチャムは、1848年、イングランドにある彼の最初の店に対する操業許可を取得しました。彼は、Beecham’s Pillsという便秘薬の製造法を開発すると、「英国で初めて電気を使った」と言われた工場を1887年に建設しました。
ビーチャムは、英国全土にヘルスケア製品を提供する会社となり、その後1世紀を経て、スミスクライン・ベックマン・コーポレーションと合併してスミスクライン・ビーチャムplc.を設立しました。
ニュージーランドでの必需品
17歳で英国を離れたロンドンっ子ジョセフ・ネイサンは、1873年、ジョセフ・ネイサン・アンド・カンパニーという名の総合商社をニュージーランドに設立しました。
彼は、ロンドンからはるばる出荷されてきた小間物、金物類、肉製品を販売し、そうして得た利益を酪農場に使用する土地に投資しました。
1947年、ジョセフ・ネイサン・アンド・カンパニー・リミテッドは、その子会社であるグラクソ・ラボラトリーズ・リミテッドによって買収されました。
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1848年
トーマス・ビーチャムが英国ウィガンにヘルスケア店を開設
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1859年
ビーチャムが、最初の工場を英国に創設
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1873年
ジョセフ・ネイサン・アンド・カンパニーが、ニュージーランドの首都ウェリントンに設立

麦芽と牛乳:Horlicks
1870年代、ロンドンの薬剤師ジェームス・ホーリックは乾燥麦芽製品を開発し、牛乳に混ぜて飲む栄養補助食品として、弟ウィリアムと一緒に初めて米国シカゴで販売しました。
その後、ホーリック兄弟は米国ウィスコンシン州に移り、そこで、世界で初めての麦芽乳を作るための麦芽入り牛乳の精製・乾燥プロセスに関する特許を1883年に取得しました。この製品は1887年からHorlicks麦芽乳と呼ばれるようになりました。
Horlicks麦芽乳が大英帝国全土にわたって売り上げを伸ばしたため、ジェームス・ホーリックはロンドンに戻って、1890年に事務所を開設しました。
ホーリックス・リミテッドは、1969年にビーチャム・グループに買収されました。
医薬品におけるパートナー
1880年、2人のアメリカ人薬剤師ヘンリー・S・ウエルカムとサイラス・バローズが、ロンドンにバローズ・ウエルカム・アンド・カンパニーという医薬品販売会社を設立しました。
1884年、彼らは圧縮錠という新しい剤形を開発し、Tabloidとして商標登録しました。後に丸剤の代替品となります。
Tabloid医薬品は非常に大きな成功を収めたため、同社は、初めての大規模製造施設を1889年に創設しました。
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1880年
ロンドンにバローズ・ウエルカム・アンド・カンパニーを設立
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1883年
ジェームス・ホーリックとウィリアム・ホーリックが麦芽乳の特許を初めて取得
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1889年
バローズ・ウエルカム・アンド・カンパニーが、英国ダートフォードに製造施設を創設

GSKの年表
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グローバル企業への道:1892年-1918年
この時期、今日のGSKの礎を築いた会社は、事業を世界に拡大し、新製品を開発して世界中で販売しました。
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ブランドの構築:1919年-1949年
画期的な科学の進歩、ブランド・ポートフォリオの構築、製品の統合が行われました。
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今日のGSK誕生の道のり:1950年-1999年
感動的な発見の時代:私たちは、最初のHIV治療薬を開発し、コンシューマーブランドを拡充し、新しい喘息治療薬を開発しました。
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今日のGSK:2000年-現在
GSKは、医療用医薬品、ワクチン、コンシューマーヘルスケアという3つの事業をグローバルに展開しています。それぞれの事業分野において、他とは一線を画す高品質で必要とされるヘルスケア製品を、より多くの人々に届けることを目指しています。